私は今、母方の祖母の介護支援で釧路にきています。
祖母は92歳で認知症を患っています。
今日はそんな釧路での日常について少し書いてみます。
【介護支援】
普段は私の母が釧路で祖母の介護を行っています。
母は、祖母の介護の前は突然倒れて植物状態になってしまった伯父(故人)の介護で釧路にきていましたから、かれこれ10年以上釧路での介護生活を続けていますね。
伯父の介護の時は親戚の叔母と交代しながら介護生活をしていましたが、今では親戚一同揃って交代しようともしなくなったため、ここ数年は母が一人でずっと介護をしている状態。
で、母自身が外界との関りを持てなくなった状態でずっと介護をしているので、私も心配で毎日のように電話で連絡を取っていました。
少し前に祖母の家の庭に泥棒が入って以来、母の様子がおかしくなってきました。
周囲に監視されているような口ぶりをしょっちゅう言うようになり、私が設置した監視カメラに備わっているタブレットアプリをずっと見るようになったのです。
祖母の認知症も進む中で母も精神的に参ってきているのだなと痛感しました。
で、2年前に私自身、フリーランスに転向したこともあり、仕事の都合がつけばちょくちょく釧路を訪ねて母の息抜きの相手をしたり、力仕事を手伝ったりしている次第です。
【トイレ争奪杯】
これは祖母との闘いなんです(笑
祖母が認知症を患っているのは先に書きましたが、最近は膀胱炎も患っており、トイレに行く頻度も多くなってきました。
少し前は頻度が多くなるだけだったのですが、残尿感からなのか最近はトイレに長居することも多くなりましたね。
で、本人は認知症から周囲のことも考えられなくなってきてしまっているため、我々のことは考えられずトイレを占拠してしまうというわけです。
私も母もできるだけ自然な生活を祖母にはしてもらいたいので、我慢できるところは我慢して、すっきりしたら出てきてもらうようにしています。
ですが、私たちだって尿意や便意は自然と訪れるものです。
我々だって生きているんですから。
で、できるだけ祖母が動く前にささっとトイレで用を足す日々が釧路では続いています。名付けてトイレ争奪杯です!
ただ最近はトイレで寝てしまっているのか、2時間や3時間占拠されることがざらになってきました。
そうなると、さすがにこちらも心配なので、ノックして早く出てもらうように促しています。
そうすると祖母は悪びれもなく「お次どうぞ。」と毎回言うんですよね。
認知症を患うと退行するとは言いますがこういうことなんだなと思いますわ。
父方の祖父の時もそうでした。
父とともに何度か入所していた施設を訪ねましたが、毎回持参していったお菓子を半分に割って「お食べなさい。」と分けてくれました。
認知症を患うと確かに周囲のことは分からなくなるのですが、無垢というか純粋というかそういう優しさの気持ちが出てくるんだなと思いますね。
定期的に病院も受診している祖母ですが、認知症と緑内障(片目は失明)、それと膀胱炎以外はいたって健康なんです!
そのおかげで5,6年前までは「東京五輪までは頑張ろうね!」などと言っていましたが、無事に迎えられました。
あと8年で百歳の大台を迎えられるので、それまでは大病を患うこともなく、トイレ争奪杯を祖母とくり広げられたらなと思います(笑
ちなみにこの記事を執筆しているのもトイレが空くのを待っている時間を使っていたりします(泣
【編集後記】
私自身、受注する仕事を常駐から在宅ワークに今はシフトできたので前よりは釧路にきて母や祖母の話し相手になることができています。
仕事用のハイスペック小型PCも作ったこともあるので、ネットワーク環境があればある程度は場所を選ばずに仕事ができるようになりました。
今はPCをはじめとする機材を持ち運びしながら移動していますが、今後は月の半分を釧路で過ごそうと計画しているので、札幌と釧路の仕事環境を整備して、みんなハッピーに過ごせるようにしていきたいと思います。
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